IR活動とその質と、株価やvaluationを関連付けることは、単純な作業ではありません。しかし、このトピックに関する研究結果や論文は海外に多く存在しており、非常に参考になります。その一つがケルン大学の金融研究センター(CFR)によるもので、欧州企業における投資家向け広報(IR)がどのように「企業価値向上」や「株価改善」に影響を分析しています。
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企業価値向上と株価改善におけるIRの重要性
この研究では、ヨーロッパ13か国の上場企業を対象に、IRの品が企業の資本市場における評価にどのような影響を与えるかが調査されました。その結果、IRの品質が高い企業ほど、「企業価値向上」や「株価改善」において顕著な効果があることが示されています。
認知度改善
まず、IRの品が高い企業は、アナリストのフォロー数や機関投資家の所有率が増加し、それが企業価値の向上につながることが確認されています。具体的には、IRランキング(*1)が1標準偏差向上するごとに、アナリストフォロー数が約10%増加し、機関投資家の所有率が約5%上昇したと報告されています。
不確実性の減少と株価の安定
IRの品が高い企業では、アナリストの予測誤差が低く、株価の変動性が低下、株価の安定と改善が見込まれます。本研究によると、IRランキングが1標準偏差向上すると、予測誤差が約15%減少し、株価の変動性が約12%低下することが示されています。
質の高いIRコミュニケーションは、アナリストや投資家が企業の業績を正確に予測しやすくなり、結果として市場の不確実性が減少し、株価のボラティリティが低下します。また、企業が継続的に高品質な情報を提供し続けることで、投資家は企業に対する信頼を強め、長期的な投資を行う傾向が強まります。
企業価値向上と資本コストの低下
企業価値の評価指標の一つとして、トービンのQ(Tobin’s Q)という、企業の市場価値をその資産の再調達原価(コスト)と比較したものがあります。具体的には、トービンのQは「企業の市場価値(株価 × 発行済株式数)/企業の再調達原価(資産の現在価値)」として計算されます。この指標は、企業の株価がその資産価値に対して高く評価されているかどうかを示します。トービンのQが1を超えている場合、その企業は市場からその資産の価値以上に評価されていることを意味します。逆に、1を下回る場合は、企業の市場評価が資産価値を下回っていることを示します。
本研究によれば、高品質なIR活動を行う企業は、トービンのQが平均して約8%高いことが示されています。これは、こうした企業が市場からより高く評価され、資産以上の価値を持つと見なされていることを意味します。また、これに伴い、資本コストも約6%低下することが確認されています。資本コストの低減は、企業がより有利な条件で資金を調達できることを意味し、成長戦略や新規プロジェクトの実行において大きな経済的利点をもたらします。
これらの結果から、戦略的かつ高品質なIR活動は、企業の市場評価を高め、企業価値向上と株価改善に直接的な影響を与える重要な要素であることが明らかになっています。
少数株主保護が低い市場でのIRの役割
この研究でもうひとつ面白い点は、少数株主保護が低い市場において、IRが企業の「企業価値向上」や「株価改善」に与える影響がより強く現れる点です。では、少数株主保護が低い市場とは何か? 少数株主保護とは、企業の少数株主が経営陣や大株主からの不当な行為に対して保護される度合いを指します。具体的に調査対象国の中でどこの市場が少数株主保護が低いかの示唆はありませんが、一般的には、新興国市場などがそれに値します。
少数株主保護が低い市場では、少数株主が十分な発言権を持たず、経営陣や大株主が企業運営を支配をします。こうした市場では、企業の透明性が低く、情報の非対称性が高いため、投資家は企業の業績や戦略に対する信頼を持ちにくくなります。その結果、企業価値が正当に評価されず、時価総額のフェアバリューとの乖離が広がるリスクが高まります。
MiFID II施行の影響
MiFID II(Markets in Financial Instruments Directive II)の施行は、証券アナリスト(セルサイドアナリスト)リサーチに大きな影響を与えました。リサーチコストの分離によって、欧州市場ではリサーチカバレッジが約20%減少したという報告もあります。特に中小企業においては、アナリストによるフォローが減少し、企業が市場でのプレゼンスを維持するためには、より積極的かつ戦略的なIR活動が求められるようになりました。
さらに、取引所外取引(OTC取引)を減少させるために、MiFID IIはすべての金融商品の取引をより透明にする枠組みを導入し、これにより取引の透明性が約30%向上したとされています。これらの変更は、欧州の資本市場においてより透明で安全な取引環境を提供することを目指していますが、同時に企業にとっては、投資家とのコミュニケーション方法を見直し、IR活動を強化する必要が生じています。結果として、企業は投資家との関係をより積極的に築き、株価や企業価値の安定と向上を図ることが求められています。
MiFID IIが施行された欧州市場における変化は、日本企業にとっても学びになる点が多いです。特に、MiFID IIによってアナリストカバレッジが減少し、企業が市場での存在感を維持するために、急遽これまで以上に効果的なIR活動が求められるようになりました。日本企業にとっても、セルサイドリサーチ(アナリストリサーチ)の獲得が重要であることは変わりませんが、それ以上に、自社で積極的かつ戦略的なIR活動を基盤に据えることが不可欠です。
欧州で見られたように、外部からの評価やリサーチに依存するだけでは、市場環境の変化に対応しきれないリスクがあります。そのため、企業自身が強力なIR活動を通じて、投資家やアナリストとの継続的な対話を重ね、企業の価値を正しく伝える努力を怠らないことが、長期的な企業価値向上と株価改善につながります。
まとめ
結論として、この記事で紹介した統計データや研究結果も示すように、質の高いIR活動は、企業が市場から適切な評価を受け、企業価値が公正に認識されるために不可欠です。効果的なIRコミュニケーションは、企業と投資家、アナリストとの関係を深め、自社の価値を正しく伝えることを可能にします。
良好なIR活動は、投資家の理解を深めることで、市場での情報の非対称性を減少させ、結果として株価のボラティリティを低下させます。安定した株価は、企業への信頼感を高め、長期的な投資を促進します。また、適切な情報が市場に浸透することで、企業の株価が実際の企業価値により近い形で評価されるようになります。これは、資本コストの低減や資金調達の機会を拡大し、企業の成長を加速させる要因にもなります。
これらの点から、良好なIR活動が企業価値の改善に直接寄与することは、疑う余地のない事実です。企業が市場からの信頼を勝ち取り、持続的な成長を実現するためには、戦略的で効果的なIRコミュニケーションが不可欠であり、それが結果的に株価の安定と上昇をもたらします。
(*1)この記事で言及している「IRランキング」とは、IR活動の質を評価するための一般的な指標を指しています。このランキングは、企業がどれだけ効果的に投資家とコミュニケーションを取っているか、情報開示の透明性や正確さ、投資家やアナリストとの対話の頻度や深度などを総合的に評価したものです。具体的には、アナリストや機関投資家の評価、情報開示の質、コミュニケーションの透明性と誠実さなどが基準となり、これらの要素を基に企業のIR活動の質が数値化され、ランキング形式で表されます。
一般的には、Institutional InvestorやIR Magazineなどの専門機関が発表するランキングがよく知られており、これらのランキングはアナリストや機関投資家の意見を集約して企業のIR活動を評価するものです。
この記事で言及されている「IRランキング」は、ケルン大学の金融研究センターが行った研究に基づいており、特定のランキングではありません。
(*2)MiFID II(Markets in Financial Instruments Directive II)は、欧州連合(EU)が2018年1月に施行した金融市場に関する包括的な規制です。MiFID IIは、金融商品の取引の透明性を高め、投資家保護を強化することを目的としています。この規制は、金融サービスを提供する企業や市場運営者に対して、より厳格な報告義務や取引の透明性向上のための新しいルールを課しています。
具体的には、MiFID IIは投資商品の取引所外取引(OTC取引)を減少させ、すべての金融商品の取引をより透明にするための枠組みを提供しています。セルサイドアナリストリサーチの提供に対する報酬の分離や、投資家に提供されるリサーチが実際に価値があるものであることを確保するための新たな規制も導入しました。この結果、特に中小企業においては、アナリストカバレッジが減少し、企業が市場でのプレゼンスを維持するために、より積極的なIR活動が求められるようになりました。
MiFID IIの導入により、欧州の資本市場はより透明で投資家にとって安全な環境を提供することを目指していますが、一方で企業にとっては、投資家とのコミュニケーションの手法を見直す必要があるなど、新たな挑戦が生じています。